この年末年始にエジプト旅行に。5年前にインドで息子と娘とパンチャカルマを受けた時、次はエジプトに行こうね!と約束をして、、息子がエジプト留学をすることになり、この旅行が実現したのです。この旅行は、私にとって単なる観光以上の意味を持つものでした。古代の壮大な歴史に触れるという期待と同時に、何か「行かなくてはいけない」そんな感覚もあったのです。出発する前から、私はなぜかエジプトに対して特別な思いを感じていました。砂漠やピラミッド、そしてアレキサンドリアの港を訪れることは、未知の地を訪れるというよりも、どこか懐かしい故郷へ帰るような感覚がありました。
砂漠での体験:前世の遊牧民だった記憶?
カイロを離れ、広大なピラミッドの砂漠に入った瞬間、胸の奥から不思議な感情が湧き上がってきました。砂が太陽の光を反射して輝く風景を眺めていると、まるで自分がその場にずっと存在していたかのような感覚がありました。
ラクダに乗りながら揺れる砂漠の風を受けていると、なぜか私の心に以前体験した前世療法のイメージが浮かび上がりました。それは遊牧民として砂漠をさまよい、時には星空の下で仲間たちと夜を過ごしていた記憶。砂漠の夜の静けさ、そして夜空に広がる無数の星々。目を閉じると、その星々の配置さえも見覚えがあるように思えるのです。
ラクダのリズミカルな足音と遠くから聞こえる風の音が、私の前世の記憶を呼び起こしているようでした。ある瞬間、私は確信しました。この土地は、私がかつて住んでいた場所だったのかもしれないと。あの時代の自分が見た風景と、今私が見ている風景が重なり、時間を超えた奇妙な感覚に包まれました。
ミイラとの対面:不思議な静寂の中で感じたもの
カイロのエジプト考古学博物館を訪れたとき、私はミイラを見て回る展示室に入りました。その場の厳粛な空気に、自然と足を止め、言葉を失いました。ミイラの姿を間近で見るのは初めてでしたが、なぜかそこに怖さや不気味さを感じることはありませんでした。むしろ、深い敬意と親近感が胸の中に広がったのです。
展示されたミイラたちの顔に刻まれた時間の流れを見つめていると、私の心に静かな声が響いてきました。まるで彼らが、「私たちは同じ道を歩んできた」と語りかけているようでした。なぜか、ミイラづくりにとても興味があったことがここでつながりました。もしかしたら、前世でミイラづくりをしていたのかも!?
アレキサンドリアの港での奇妙な deja vu
旅の最後に訪れたアレキサンドリアの港では、さらなる驚きが待っていました。地中海に面したこの港は、古代から交易の中心地として栄えてきた場所です。波の音を聞きながら、私は砂浜から、海を眺めました。その瞬間、私の中にある特別な感覚が再び蘇りました。
「ここにいたことがある…」
その思いが心に浮かび、波打ち際を歩いていると、かつてこの場所で交易をしていた以前体験した前世療法の記憶が鮮明に蘇ってきました。私は船に積む香料や宝石を取引していた商人だったのかもしれません。桟橋で交渉をする声、人々が忙しく荷物を運ぶ音、そして海風に乗る塩の香り。すべてが妙にリアルで、目の前に広がる風景とシンクロしていました。
その時の前世療法は港から海を眺めていた姿が印象出来でしたが、その一生はどうなったかはもう記憶にはありませんでした。でも、あの時体験した前世の地にいるということは直感的にわかりました。
エジプトで感じた不思議な旅の意味
今回のエジプト旅行を通じて、私は単なる歴史や文化だけでなく、自分の魂の一部に触れたように感じています。砂漠での遊牧民としての記憶、ミイラと向き合う中で感じた静かなつながりは、「死」と「生」の両方が等しく価値あるものであることを教えてくれたように思います。今、ヒプノセラピーと関わっていること関係があるようにも感じています。そしてアレキサンドリアでの商人としての過去。
どれも夢のようでいて、どこか確かなもので
今回のエジプトはただの旅行先ではなく、私の魂が帰る場所のひとつだったのかもしれません。この旅を通じて感じた深いつながりと記憶は、これからも私の心に生き続けるそんな感覚を感じます。
もし、あなたが旅行に行ったら、ぜひ自分の魂の声に耳を傾けてみてください。その地は、私たちの記憶の奥深くに眠る何かを呼び覚ましてくれる場所かもしれません。
そして、あなたの前世とも深いつながりがあるかもしれませんね。